知のストック「中田島砂丘の成り立ち、知っていますか? 」早稲田大学人間科学学術院人間環境科学科 山田和芳教授 講演会より


要素

  • 暴れ天竜が作った浜松の平野部
  • 大量に排出された砂、土砂と10万年前からの海面変動により浜堤が形成
  • 最後、1,000年前にできた浜堤の上に波、風によって砂が堆積し、砂丘が形成
  • 現在の浜堤〜砂丘は10mの層厚
  • その下に約10万年前の浜堤が存在している → 2段構造 → より高い砂丘
  • 天竜川の大量の排砂は海岸付近に陸棚を作る(砂が深みに落ちていかない)
  • 室町時代から江戸時代初期にかけて、天竜川中・上流部での木材伐採による山間部の荒廃 → 大量の土砂の流出(砂の供給源)

浜堤の存在

浜松はかつて佐鳴湖以南は海であったが、10万年前からの海面の変動により海が南へ移動。その結果、6列の浜堤が作られた。中田島砂丘は最後の浜堤(1,000年前)の上に形成している。

海水面の変動

松島、1987

浜堤 断面図

藤原ほか、2017

浜堤列と遺跡の立地

松原、200

陸棚の存在

中田島砂丘付近の海底地形は、きれいな陸棚が発達している。
(海底に谷が無い)

森林の伐採

神社、仏閣、城など木材需要の高まりにより過度な森林利用。

葛飾北斎「遠江山中」

幹川流路延長:213 km(日本全国9位)の天竜川。その川筋は糸魚川静岡構造線と中央構造線という新旧地質帯を縦断。様々な地質地帯を通るからこそ、そこから供給される砂は日本一多様性を持った砂なのです

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